2018年9月に書いたエッセイです

 

~舞台「栞の恋」に寄せて~

 名前は、一種の祈りである。私の本名である「靜世」も同様で、「静かな世界でありますように」という平和への祈りを込めてつけられている。名付けたのは、戦争で人生が変わってしまった父方の祖父である。私は、戦争を知らない時代に生まれ、特に戦争を意識することなく生活をしていた。そんな日々の中、2013年に夢語り千夜を起ち上げ、語り部をするならば戦争について語ることも一つの義務だと感じた時、ふと、私の名前に託された祈りに気がつき、愕然とした。街中どこを見渡しても、戦争の面影など存在しないこの時代において、自分自身を表す名前が戦争の名残そのものだったのである。

 

 人気ミステリーホラー作家の朱川湊人先生が書いた「栞の恋」には、幾つかのテーマが内包されている。その中核をなす一つが「忘れられた戦争」である。物語は、昭和42年、高度経済成長期真っ只中が舞台である。主人公の邦子は、ラジオから流れるグループサウンズを聴いた後、雑誌の中のミリタリールックに身を固めたアイドルたちの写真にうっとりする。実は、このアイドルたちの服装は、この時代において、すでに戦争が風化してしまっていることを暗に示唆している。もし、彼らが本物の軍服を着た特攻隊員を目の当たりにしたら、果たして、その服を着ることができただろうか。

 夢語り千夜の「栞の恋」では、徳永昭夫氏が演じる神風特攻隊員の帯刀耀一郎が、実際に舞台上でも姿を現す。(原作では姿が出てこない)この帯刀は、途中まで邦子の片思いの相手サリーと錯覚するよう演出しているが、それはどこか謎めいており、じわじわと忍び寄る闇のように彼の存在は大きくなっていく。だが、戦時中と戦後という異なる時代にいる帯刀と邦子が、舞台上、目を合わせるシーンはない。彼が目を合わせることができるのは、どんな時代、どんな空間にも自由自在に存在できる語り部だけである。

 

 物語は、生者である邦子とその当時では死者にあたる帯刀が、ある一冊の本を通して、時空を超えた栞の文通を行い、淡い恋を育んでいくところに醍醐味がある。これが、もう一つのテーマ「純愛」である。何度も書き直した手書きの栞を交互に古本に挟み、その文字や文章、栞の紙から相手を想像し、自分を表現する。現代のSNSのように、スピード感や次々に重なる大量の会話、がつがつした品の無さなどは見当たらない。二人の他愛ない言葉の交換には、たった一行でも、お互いを思いやる心の温もりがある。その二人の姿は、不器用かもしれないが、清らかで美しい。そして、美しいからこそ、それが成就しないとき、哀しみが秋の空のように心の底まで澄み渡るのである。その美しさは、機械化、情報化して利便性を追求した現代社会が失ったものであり、私たちはノスタルジーを持って、その情緒に憧れるのである。

 

 ところで、この舞台上、帯刀と語り部が時空を超える装置として、重要な役目を果たしたのが、個性的な作品を創り続けている美術家、帯刀役の徳永氏による2013年の作品「対話の準備」(以降、「キューブ」と呼ぶ)である。原作には登場しないキューブを、生者と死者の対話が行われる結界として舞台に存在させることにより、様々な仕掛けが可能となり、また、闇に浮かぶ怪しくも鮮やかな照明を施すことで絵画のような舞台が実現した。

 このキューブは、元々、対話の象徴である椅子が真ん中にテグス1本で作られているのだが、「栞の恋」のために、そこへ徳永氏が時空を超える扉を創ってくれた。また、このキューブは、生者と死者の対話だけでなく、実は、演者とお客様との対話という語り芝居特有の構造も象徴している。

 

 舞台は、このキューブを中心に据えた真っ暗闇の中、心臓の鼓動音だけで始まる。これは、有機体であるキューブから聞こえてくる演出であるが、実は、キューブによって時空を超えてきた帯刀の心臓の音だということが、ラストシーンで分かる仕組みにしている。この心臓音は、ジャズ音楽家の波多江氏によるもので、彼が全ての効果音を楽器で表現し、舞台に臨場感を出してくれた。この作品は、才能あるメンバーの賜物なのだ。

 

 この公演を通して、現代のわたしたちには「忘れてはならないものがある」、それに対して「忘れないでほしい思いがある」ということを、表現できていたらと願う。

 たとえ戦争を知らなくても、生がもたらす時代を超えた記憶のイメージを私たちは共有することができる。例えば、神風特攻隊員と聞いただけで、私たちは、その悲惨さを肌で感じ取ることができる。玉音放送を聞けば、「当時を振り返ること」もできる。想像力は、平和という新しい歴史を作るための素晴らしい道具なのである。

 語り部というのは、その想像力をお借りしながら物語を伝えていくのだが、その特徴として、舞台と客席の垣根を持たない。夢語り千夜では、それを生かし、お客様に直接語りかけながら、物語を今ここで起こっているかのように進行させ、会場全体を物語の世界にした上でお客様全員の心を一体化していく。

 

 昭和42年に現れた神風特攻隊員が、邦子に残した切ない思い出を、この舞台でお客様と共有できていたら本当に嬉しい。

 最後に、この素晴らしい物語を貸してくださった朱川湊人先生に感謝を申し上げたい。                                                                   2018年9月某日

 靜


 

~心の原風景を求めて~

 

 10年以上前の出来事です。

 ソロコンサートを行った或る外国人オペラ歌手が、アンコールで「赤とんぼ」を歌い始めました。優しい包容力のある歌声で1番を歌い終えた彼女は、両手を大きく会場に広げて、2番を観客の私たちに渡しました。

 その瞬間です。ほとんどを女性客で埋められた会場全体に、懐かしい「母」の声が響き始めました。その声は、女性が持っている「母性」そのものであり、人によっては「母」という自分自身であり、そして一人一人の「母の記憶」でもありました。子供時代に歌い習う「赤とんぼ」が、「母」の姿で立ち現れてきたのです。

 東京で一人、母も故郷も忘れ、必死にもがきながら生きていた私の目から、突然大粒の涙がこぼれました。一緒に歌うこともままなりません。

 すると、そのうちに「母」と共に甦って来た個人の漠然とした記憶のようなものが、全体のハーモニーによって、私が実際に見たことのない、「赤とんぼ」の歌詞がもたらす心の原風景へと変わっていきました。それは「夕焼け」であり、「子供時代」であり、「山の畑」であり、「姐や」であり、懐かしさと切なさと哀しさがない混じったその郷愁は、「母」の声の温もりと共に会場全体を包み込みました。

 

 私たちは、生がもたらす時代を超えた記憶のイメージを共有することができます。一人一人の個が、合唱を通して一体となった時に生まれたこの心の原風景を、私はもう一度体験してみたいと思いました。そして、おんぼろのアパートに帰り、一人布団をかぶって泣いたあの時と同じように、また家で一人泣いてみたいのです。喪失感にまみれた寂しさと、確かに受け取った愛の記憶と、今生きているという実感と共に。

                               2013年 みんなで声を出そう 「赤とんぼ」に寄せて  靜